いつまでも続くと思っていた日常は、本当に些細な事で壊れてしまう。
しかも突然、その日は訪れるのだ。
別に特別な日々を望んでいたわけではない。
君が俺の脇で笑っていてくれただけで、俺は幸せだった。
ただそれだけだったんだ。
偽りの歌姫
「ミーア!学校を辞めるって話、本当なのか!?」

いつもと同じようにカレッジから出てきた俺の幼馴染であるミーア・キャンベルを呼び止めると、彼女はランチの約束を取り決める返事をするように答えた。

「えぇ、本当よ。そうがどうかした?」
「どうかしたって、なんで君が辞めるんだよ」

2年前、2人で一生懸命勉強して一緒に入ったっていうに、それをあっさりとに辞める?
これで慌てないって方がどうかしてるだろ?
尚も涼しい顔をしている彼女に、俺は詰め寄った。

「カレッジを辞めて、どうするんだよ!?」
「それはにも内緒よ」

人差し指を口元にそえ、悪戯っぽい笑みを浮かべて、ミーアははぐらかす様に言った。
それはいつものミーアと寸分も違わず、彼女のそんな態度が逆に俺の神経を逆撫でした。

「内緒ってな…。そんなんで俺が折れるとでも思ってるのか!?」

いつもミーアと一緒に過ごしてきた。
母親同士が親友だった事もあり、俺とミーアは兄妹のように育てられた。
でも俺はそれとは別の意味でミーアの事が好きで、守る存在だと思っていた。
それはきっと俺が一方的に思っていた事なのかもしれない。
だが、それでも確かに特別な何かがあったはずだった。
それなのに今、俺の目の前に彼女はそれをリセットしてしまったかのように、実にあっさりとした言葉を返してきた。

「だって、そう言われてるんだもん。仕方が無いでしょ?」
「仕方ない?どうしてお前は、そんな言葉で片付けようとするんだよ!」

ぐっと彼女の腕を掴みこちらに引き寄せると、ミーアの顔は痛みを訴えるように歪んでいた。
その表情に、俺の胸もぎりっと音を立てた。

「痛いわ。離してよ!」

その言葉に俺は彼女の腕を掴んでいた手を緩め、彼女は少し距離をとるように一歩下がった。
こんな事がしたかったわけではない。
俺は彼女から言葉を引き出したかったんだ。
彼女の言葉で、事実を言って欲しかったんだ。
それなのに、ただ混乱して彼女に無意味な言葉をぶつける事しか出来ない自分が、どうしようもなく腹立たしかった。

「ねぇ、。ミーアがカレッジを辞めるの反対なの?」
「当たり前だろう」

そうでなかったら、こんなにも彼女に食い下がったりはしない。
誰よりも大切なミーアの事だから、俺だって心配なんだ。

から見て、今のミーアって幸せに見える?」

突然聞かれた問いに、俺は少し間を置いてから答えた。

「少なくとも俺からは幸せに見えるよ」

娘思いの両親がいて、そんな中で大切に育てられて。
友達も決して少なくない彼女は、友人達と笑いあう姿がよく似合っていた。
俺と一緒に出かけた時、俺に微笑んでくれたミーアの顔を見て、誰が不幸せだというだろうか。

「そっか…。にはそう見えるんだ」

どこか残念そうに言うミーアに俺は視線を外す事が出来なかった。
俺の事を見る目はどこか寂しげで、雨の中で凍える子猫のようだと思えた。

には言ってなかったけど、ミーアは今必要とされているの」
「だからカレッジを辞めるのか?」

俺の問いに、ミーアは静かに頷いた。

「だってミーアを必要としてくれる人がいるのよ。それに答えるのが普通でしょ?」

"違う?"
少しだけ悲しい色を含んだ声に、俺は強く言い返せなかった。
確かに、自分を必要としてくれている人がいるのであれば、それは幸せな事なのだと思う。
その相手は家族であったり、友人であったり、恋人であったり、時によって様々だ。
だが、それなら俺はどうなのだろうか?
ミーアの中で、俺はそれに値するだけの人間ではないのだろうか?

「俺はミーアを引き止める理由にはならないのか?」

しばしの沈黙。
ミーアが俺の思いに答えてくれる事を願いつつ待っていると、残酷な答えた返ってきた。

「ごめんね、
「どうしてもダメなのか?」
「うん」

俺から視線をそらし、ミーアは一度だけ頷いた。

「ミーアの事は忘れて。もう会う事もないだろうから」

そう言って寂しげにミーアは笑った。

もう2度と会えないなんて、誰が決めたのだろうか?

そう問い返す事も出来ず、彼女は2度とこちらを振り返らずに歩き出した。
それが彼女を、ミーア・キャンベルを見た最後だった。
数日後、キャンベル家はこの市から姿を消した。
あれだけ仲の良かった母親も、詳しい事情は聞けなかったそうだ。

今までずっと隣にいたミーアがいなくなって、俺は初めて彼女に依存していた自分に気が付いた。





あれから数ヶ月。
停戦中だったプラントと地球軍の関係が、再び悪化し始めていた時の事だった。
運命の悪戯か、俺は再び彼女の声を聞く事になった。
それは彼女自身に会ってではなく、残酷にもラクス・クラインの演説でだった。

確かに、前々からラクス・クラインの声に似ているとは思っていた。
でも目の前で話すミーアを見ていて、ラクス・クラインに投影した事など1度も無かった。
それでもラクス・クラインの姿をしたミーアを見ていると、本人なのでないかとさえ思ってしまう。
だが、幼馴染として17年間ずっと過ごしてきた俺が、ミーアの声を聞き間違うはずはない。
そしてミーアの髪につけられた髪飾りが、ミーア本人である事を証明していた。
9つの誕生日に、俺がミーアに贈ったプレゼントだ。
それを今の尚、彼女は付けている。
だから俺には断言出来た。
彼女は俺が愛したただ一人の女性だという事が。

直に触れる事も出来なくなってしまった、俺の愛しい人。
鮮やかな色を映す画面に触れると、ぱちっと静電気が発生した。
それはまるで、画面の彼女に拒絶されたようだった。

「なぁ、ミーア。お前は偽りの歌姫を演じていて、幸せだと言えるのか?」

ミーア・キャンベルとしてではなく、ラクス・クラインを演じるお前を必要とされているのに、それで幸せといえるのだろうか。
きっとミーアもそれが幸せな事ではないと気付いているはずだ。
それでも抜け出せずにいる。
俺にはそう思えてならなかった。

そんな理不尽な思いを抱えつつ、あの時、ミーアを引き止める事が出来なかった自分自身が腹立たしかった。
頬を伝う涙すらぬぐう事が出来ず、俺はただ画面の彼女に触れていた。



END





モドル