ここは町の中の小さな病院。
さきほど、と共に出掛けたはずのエドとアルが、廊下のベンチに腰を下ろしている。
なぜかの姿だけが、見当たらない。
そこへ、常に冷静沈着なホークアイにしては珍しく、2人の元へ走ってきた。

「エドワード君、アルフォンス君。少佐が、倒れたと聞いたんだけど、容態は?」
「いえ、倒れたと言えば倒れたんですが・・・」

歯切れの悪い返事をするアルに、ホークアイは首を傾げる。

「猫に驚いて、階段から転げ落ちたんだよ」

アルに代わり、エドが事の真相を言う。

東方司令部を出た後、を先頭に町を観光していた3人だったが、少し階段状になっている裏手の路地で、猫の尻尾を踏んでしまったのだ。
結果、それの驚いた(怒った)猫は、に飛び掛り、それをよけようとして階段を落下してしまったのだ。

「軽い脳震盪だと、お医者さんが言ってました」
「そうだったの。大事に至らなくてよかったわ」

原因が分かり、ホークアイは安堵の息を漏らす。

「なぁ、中尉」
「何?エドワード君」
の目が、見えないってのは本当か?」

真剣にホークアイを見つめるエド。
ホークアイはその目から顔をそらさずに頷いた。

「えぇ、本当よ」
「そうか」

をこの病院に運んだ時に、医者に言われた事だった。

「この者は、目が見えないんだね」

今まで、淡い青色のサングラスをかけていた為、見ることの無かったの瞳。
黒に近い茶色の瞳。
その瞳に、自分の姿が写っていない事を知り、不思議な感覚を受けた。

「でも・・・。さんは、兄さんが錬金術をした事とか、わかりましたよ」

信じられないように、アルが言う。
そんなアルの言葉に、ホークアイは、静かな声で答えた。

「聞いた事ないから?五感のうち、どれかが欠けている者は、その他の感覚が優れていると。少佐も、そうなのよ。目が見えない代わり、空気の変動などに凄く敏感なの。だからある程度の事は、気で分かるらしいわ」
「そんな・・・」

尚も信じられず、アルは言葉を詰まらせた。

少佐には、同じく軍人だったお兄さんがいたの」

沈黙を破るかのように、ホークアイが口を開いた。

「とても仲の良い兄妹でね。早くに両親を亡くされていたから、世界に2人っきりの家族だったの。でもイシュバールの戦争で、彼女のお兄さんは戦死したわ」

赤い瞳を持ち、褐色の肌を持つイシュバールの民。
錬金術を禁忌とした宗教。
それは軍とぶつかるのに、大した時間を要しなかった。
イシュバールの戦争で、軍もイシュバールも多くの血を流した事は、万人が知る事実だった。

「お兄さんの死に絶望した少佐は、自分の殻に閉じこもり、この世界を拒絶したの」
「世界を拒絶?」

ホークアイの言葉に、アルが聞き返す。

「心を閉じ、いつの間にか、目が見えなくなっていたそうよ」
「そんな事って、あるのかよ」

声を荒げ、エドが言う。

「私も詳しくは分からないけど、人の心と身体は密接な繋がりを持つ物よ」

確かに、心と身体には説明しがたい繋がりがある。
例えば、学校に行きたくない子供がいる。
朝、学校に行こうとすると体調を壊すが、休んで良いと言われると、けろっと治ってしまうという。

「詳しい話は、本人に聞くといいわ」

そう言って、ホークアイを少し顔を上げて前を見た。
そこには、部屋で休んでいたはずのが立っていた。

「身体の方は大丈夫ですか?」
「あぁ、リザがお見舞いに来てくれたからね」
「ご冗談を」
「本当だよ?」

そういって、穏やかに笑った。

「ありがとう」
「どういたしまして。では、私は仕事が残っていますので」

敬礼をし、ホークアイは言う。

「あぁ、悪かったね。じゃあ、また」

ホークアイが立ち去る背を見送ると、くるりとエドとアルへと向き直った。

「さて。私達は場所を変えて、話そうか。ここでは、周囲に迷惑をかける」









病院を出た3人は、人気の無い公園へと入った。

「で、リザはどこまで話したんだい?」

どかっとベンチに座ると、は早速話しに入った。

さんのお兄さんが亡くなって、あなたの目が、見えなくなったところまでです」

アルが遠慮がちに言うのを聞きながら、が頷く。

「兄は、私にとってかけがえのない人だった。私達兄妹は、早くに両親を亡くしていたから、特にね。安定した収入を得るため、兄は軍人になる事を選んだ。兄はいつも、私の事を一番に考えてくれていた」
「仲、良かったんだな」

静かな声で、エドが言う。

「あぁ、そうだね。兄は、私の憧れでもあった。兄が学んでいた錬金術を習いだしたのは、それがキッカケだね」
「お兄さんも、国家錬金術師だったんですか?」
「いや、違うよ。ただ、錬金術が使えただけだ。それに兄が生きていた時、私はただの軍人でしかなかった」

懐かしそうに、しかしまた寂しそうに言う。

「兄が死んだ事を知り、私は自分が奈落の底に突き落とされたようだった。私の存在理由は、兄がいたから存在していたようなものだったからね」

の言葉を聞きながら、エドは、アルがあっち側に持っていかれた時の事を思い出していた。
自分の幼い考えから起こしたミス。
それによって一度は失われた、弟の命。
あの時の自分は、自分の身を削ってでも弟を取り戻そうとした。
もし、あの時アルの魂をこの鎧に定着する事が出来なかったら・・・。
自分も、目の前の女性同様、世界を拒絶していたかもしれない。

「だから、一度は死ぬ事まで考えたんだ。でもね、出来なかったんだ。死のうと思うたび、兄の顔が浮かぶんだ。お前は1人になっても、生きなきゃいけないんだ。現実を見つめなさい。ってね」
さんは、お兄さんを生き返らせようとは思わなかったんですか?」

アルの言葉に驚いたような顔をしたが、すぐにそれは戻った。

「思ったよ。だけどね、等価交換じゃ駄目なんだ」
「どうしてです!?」
「兄の命と等しい命は無い。例え、私の命を代価として払っても、兄の命を補えないと思ったからだ」
「そんな・・・」
「それにこれは私の思い込みだが、兄は私のいない世界に生き返っても意味が無いと言うだろう。そして自分の命と引き換えに、私を生き返させる。つまりメビウスの輪。無限に続くループへと繋がる」

そこまで言うと、力を抜くように息を吐いた。

「だが、私にとって兄のいない世界は意味が無い。守るものも、必要とされる人もいないからね。だから私は、国家錬金術師になる事を選んだんだよ。例え自分の命を捧げようと、自分を必要としてくれる世界のためにね」
さんは、それでいいんですか?」
「それが世界というものだ」

何の迷いもなく言うに、アルは言葉を続けようとする。
しかし・・・。

「あんたの言う事は、確かに正しいと思う」

アルの言葉を遮って、エドが言う。

「でも・・・。俺たちは、そんな聞き分けのいい子供じゃない」

右手を震わせて、エドが呟く。

「俺は・・・。アルの身体を取り戻してやりたい」
「僕も、兄さんの腕と足を取り戻したい」

まっすぐにを見つめ、アルが言った。

「そっか・・・。だから君達は、太陽を求めているのか」
「太陽?」
「知らないのか?大錬金薬のシンボルは太陽なんだよ」
「大錬金薬・・・。賢者の石の事か!?」

驚いたようにエドは、に聞き返す。

「あぁ」

錬金術において、太陽は男性的原理を表し、月は女性的原理を表すとされている。太陽が、硫黄・不揮発性物質・乾を象徴するのに対し、月は水銀・揮発性物質・冷・湿を象徴する。そしてしばしば太陽を、卑金属を黄金に変える完全な〈賢者の石〉(大錬金薬)の、月をその前段階として卑金属を銀に変える〈小錬金薬〉のシンボルとしている。


「もしかしてさんも、賢者の石について調べてるんですか!?」

アルの質問に、は首を横に振った。

「残念ながら、私は賢者の石の研究はしたことは無い」
「何故だ?」

まっすぐと見つめ返すエドに、は少し悲しい顔をして答えた。

「人間はね・・・。いや、全てのものは太陽に近づいてはいけないんだ。太陽に近づく事は、己を破滅させるだけだから」

そこで言葉を切ると、はエドとアルに向き直った。

「それでも、君達はそれを目指すのかい?」

の瞳が二人の姿を映し出す。決して、光を通す事の無い瞳が・・・。

「俺達には・・・、どうしても取り戻さなければいけないものがあるんだ」

エドの右手。エドの左足。そしてアルの肉体。幼き少年達が、一瞬にして失った物。

「そっか・・・」

今までまっすぐに二人を見ていたが、ふっと優しく笑った。そしてエドとアルを引き寄せると、その体を強く抱きしめた。

「人は脆い生き物だ。だけど、君達ならお互いを支えあい生きていける。それだけは、忘れないで・・・」

母のような優しさに、二人は懐かしさを感じた。









「じゃあ私は、西に戻るな」

西へと向かう汽車のホームで、は見送りに来ていたエドとアルにむかって言った。

「そう容易な道では無いと思うが、君達二人が、探し物を見けられるように祈っててやるから」
「祈りじゃなくて、呪いじゃないのか?」
「兄さん、失礼だよ!」

エドの失言をアル。それを見て、がくすりと笑う。

「じゃあ、元気でな」
さんも・・・」
「あぁ」

ゆっくりと動き出す汽車。ふと思い出したように、は窓から顔を出す。

「そうだ、エド。好き嫌い言わず、牛乳は飲むんだぞ〜!」
「大きなお世話だー!」

は大きく手を振りつつ、を乗せた汽車はどんどん遠ざかっていく。



「本当に、不思議な人だったね」
「あぁ」

漆黒の錬金術師。大切な家族を失い、自らの目を閉ざし、一度は世界を拒絶した女性。だが、自分達を抱きしめてくれた温かさは、母親を思い出させるのに十分なものだった。

「よし、アル!大佐の所に行くぞ。何か新しい情報が入ってるかもしれないからな!」
「うん、そうだね」

二人は東方司令部を目指し歩き出した。
それはこれから続く、長い旅の序章でしかない事を、二人は知っていた。
END





モドル