俺は今、恋をしている。 と言っても、その人と付き合いたいとか、結婚したいと考えている訳ではない。 だから、この感情は尊敬と紙一重なんだと思う。 その人の名は、リザ・ホークアイ。 焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐の下で働いている、中尉殿だ。 |
恋心 |
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「よぉ、」 同期のジャン・ハボックが声を掛けてきた。 「やぁ、ジャン。どうしたんだ?ここに、お前のデスクは無いぞ」 俺のいるここは、一般の軍事をする部署だ。言わば、庶務。階級は同じだが、ジャンは仮にも大佐の下で働いている身だ。 そう言うわけで、当然ここにジャンの席があるわけがない。 つまり、彼がここに来た理由と言うのは1つしか無い訳だ。 「一服するぐらいいいだろ」 「仕方ないな。一本だけだぞ?」 そう言って、自分のポケットから箱を出し、差し出す。 「いいのか?マスタング大佐付きなんだろ?お前」 「まぁーな」 美味そうに、ぷかっと煙を吐く。 それはいつもの事だが、本当にその一時が嬉しそうな顔をするんだよな。 「いや、その大佐がいないからさ」 「外出中か?」 大佐と言う身分になると、地方への視察も多い。 つまり、こいつは大佐が外に出かけている間に、ここで油を売っているという訳か。 「いや、サボり」 あっさりと言うジャンに、俺は何の冗談かと思った。 仮にも大佐たる方が、サボりなんて・・・。いや、あの人なら十分ありえるかもな。 そう思ったが、一様俺より上の階級だし、頷くべきじゃないよな。 「サボりって、お前じゃあるまいし」 「心外だな。俺がいつ、サボったって言うんだ?」 むしろ、心外だと思えるお前が凄いよ。 「今。俺の目の前で」 「これは、サボりじゃねぇよ」 「じゃあ、なんだよ」 「バカだなぁ。旧友との親睦を深めてるだろ?」 旧友ねぇ。まぁ、一様そう言う事にしておくか。 「はいはい。じゃあ、俺の仕事の邪魔はしないでくれ。少し書類が溜まっていてね」 そう言って、机の上に広げてある書類をまとめた。 「お前にしては、珍しいんじゃないか?」 「あぁ。少し悩みがあってね」 「もしかして、これか?」 そう言って、小指を立てた。 このジャンですら知っているほど、ポピュラーな手話だ。 親指を立てるのは男、小指を立てるのは女を意味する。 本人は、そんな事も知らないだろうがな。 「まぁーね。そんな所だ」 「えっ、マジかよ!?」 「あぁ」 意外そうに言うジャンに、そんなに俺は女に興味が無いように見えていたのだろうかと、疑問に思う。これでも、それなりに女性との付き合いはしてきたんだがな。 「相手は誰だよ」 「誰だと思う?」 ジャンがこうやって聞き返すのは分かっていた事だから、間髪を入れずに聞き返す。 生憎、聞かれてそうそう答えるほど、口が軽いものではないんでね。 「角のパン屋のジェーンか?」 「さぁね。それよりハボック君。そろそろ戻った方が良いかもしれないよ」 「話をそらすなよ」 「いや、お前の身を案じているんだよ。今、廊下をホークアイ中尉が歩いて行った。その先にあるのは、なんの部屋だったかな?」 「げっ。それを早く言えよ」 そう言って、ジャンは慌しく部屋を出ていた。 「じゃあ、またな。」 「頑張れよ」 そう言って手を振った。 ちなみに、この部屋の先にある部屋とは、マスタング大佐が仕事をしている部屋だ。 つまり、ジャンが働く場でもある。 大佐がいないからと言って、ジャンまでサボっていて良い理由にはならない。 どうやって、誤魔化すんだかな。 「少尉。これをマスタング大佐本人に届けてくれますか」 昼飯から帰ってくると、隣の席の娘に頼まれた。 もともと、ジャンと仲が良い為、ジャンのいる部屋とこの部屋を行き来する事が多い。 その所為か、こういう事をよく頼まれる。 まぁ、ずっと机に向かっていても疲れるだけだから、気分転換代わりに俺は引き受けている。 「いいですよ」 A4サイズの茶封筒を受け取り、俺は部屋を出た。 「本人にですね?」 念のため確認を取ると、彼女はこくりと頷いた。 俺は部屋を出て、少し置くの部屋に向かう。 2度ドアをノックし、ドアを開ける。 「・少尉であります。マスタング大佐は居られますか?」 そう言って部屋を見渡すと、ジャンとブレタ、そしてフュリーしかいなかった。 「大佐なら、まだ逃走中だぞ」 「えっ、まだ?」 ジャンが俺のところから帰って2時間は経過している。 それなのにホークアイ中尉にも捕まらず、2時間も逃走しているとは、中々だよな。 「書類なら、僕が預かりましょうか?」 俺の手にしている茶封筒に気がついて、フュリーが聞いてきた。 「いや、本人に直接渡す物だから、いいよ」 「そうですか。わかりました」 「けど、当の本人がいないのにどうするんだ?」 ジャンが、何故か当たり前な事を聞いてきた。 「探すんだよ。大佐をね」 にやりと笑い返すと、ジャンは"やっぱりな"と言う表情をした。 「じゃあ、またな」 俺は足早に部屋を出ると、マスタング大佐の居場所を探す為、一旦建物から出た。 どこかの部屋に隠れると言うより、あの人ならもっと人気の無い所に隠れてそうだよな。 今までも何度か、こういう事があったら、さがすのも手馴れたものだ。 と言っても、1度場所を突き止めたら、2度目はそこにはいないから、手間がかかるのは変わらないんだよな。 そう思いつつ歩いていると、目の前からホークアイ中尉が歩いてきた。 「こんにちは。中尉」 「こんにちは、少尉。どうしたんですか?こんなところで」 「ちょっとした、探し物です。中尉は?」 「私も探し物です」 おや、物扱いですか。 凄い事言うな、この人も。 「大佐、ですよね?探し物って」 「えぇ」 俺の言いたい事が分かっているように、少し笑って答えた。 「いつも、大変ですね」 「そうね。いい加減、真面目に働いてほしいものだわ」 "はぁ〜"と、小さなため息をついた。 「良い部下に恵まれているから、甘えているんですよ」 そう言うと、彼女は少し笑った。 「それはどうかしらね」 「中尉は、何があっても大佐を見捨てはしないでしょ?」 「時と場合によるわ」 「と、言うと?」 「例えば、自業自得で仕事が溜まってしまった場合は、見捨てるわよ」 「それはそうですね」 彼女の言葉に、思わず頷く。 確かに、マスタング大佐は、よく仕事をサボっているから、自然と仕事を溜め込んでしまい、自分たちまでそれに付き合わされるのだと、前にジャンが愚痴を零していた。 だが、そんな人でも、この目の前の女性はそれを見捨てることなく、最後まで見届けるのだとも言っていた。 「それでも中尉は・・・。女癖が悪かったり、どんなに仕事を抜け出すような大佐でも、いつも大佐の事を考えながら行動してますよね」 それは、彼女を見ていれば自然と分かる事だった。 俺のような尊敬に似た恋心と言うより、それが運命であるかのようにすら見える。 例えこの人は、自分の命が危なくなろうと、身を挺してあの人を守ろうとするのだろう。 「そうね。私はあの人の力になりたいの。それは、自分の意思で決めた事だから」 真っ直ぐな瞳で前だけを見つめ、凛とした態度で言うこの姿を見て、俺はその関係が美しいとさえ思った。 「素敵ですね。俺は、中尉のそう言うところ、好きですよ」 「ありがとう。少尉」 この言葉ですら、好意だとは受け止めても貰えない。 それは少し寂しく、甘酸っぱく感じがした。 「じゃあ、少尉。大佐を見つけたら、直ちに部屋に戻るように伝えて下さい」 「わかりました。」 立ち去るホークアイ中尉の背を見送りながら、俺は近くの木に背を預けた。 「貴方は本当に幸せ者ですよ。マスタング大佐殿」 「なんだ、気付いていたのか」 頭上から聞こえた声の主が、木の枝から降りて姿を現した。 「ですから、辛口なコメントをしたんですよ。もちろん、ホークアイ中尉も気付いてましたよ」 「それは参ったな」 服に付いた葉っぱを払い落とし、制服を正した。 「また、新たな隠れ家を探すしかないな」 「きちんと仕事をしたら、どうです?」 俺の言葉に、この人はふっと笑った。 「それでは、つまらなかろう」 「さようで」 風のように何事にも囚われず、自由奔放なロイ・マスタング大佐。 しかしその心には、火のように熱い思いを秘めた人。 あの人が、忠誠を誓う人物。 ある意味、俺のライバル・・・か。 「でも、今日はもうそろそろ戻った方がいいですよ。既に、大佐のデスクには山の様に書類の束が積んでありましたからね」 「そうか。仕方ないな」 いささか不満そうに大佐は言った。 そう言えば、俺もこの書類を渡す為に、この人を探してたんだっけ。 「マスタング大佐。これもですよ」 腕を取って大佐に渡す。 「多分、デートの約束も入っていると思いますが、断るのなら、その手紙も届けますよ?」 きっと今夜は、この書類を終わらすために残業でしょからね。 まぁ、俺にこれを託した彼女には、悪いけど。 「そうだな。じゃあ、これを渡してくれ」 そう言って、俺に今書いたメモを差し出した。 「では、頑張って下さいね。大佐殿」 そう言って、俺は踵を返して歩き出した。 ロイ・マスタング。 この東方司令部に所属する焔の錬金術師。 そしてあの人の、尊敬する人物。 それは俺のこの気持ちとは、違うものかもしれない。 だけど、俺は負けたくないと思うんだ。 「さーて、俺も頑張るかな」 胸を張って、あの人を好きだと言えるように。 少しでも、あの人の目に映るように。 なんてったって、勝負はこれからだからな。 |
END |
■モドル■