過ごしやすい秋も終わり、寒さの厳しい冬になろうとしているある日、ここ東方司令部はいつものように、平和な一日を迎えていた。
「少尉、頼まれていた資料をお持ちしました」
書類にペンを走らせていると、ふいに後ろから同僚の女の子に声をかけられ、顔を上げた。 振り返ると、両手で重そうに本を持っている彼女が立っていた。
「あぁ、ありがとう。そこに置いといてくれるかな」
そう言って場所を指差すと、彼女は本を俺が座っているデスクの脇に置いた。 どさっと置いた拍子に、俺が書いていた書類が少し浮く。
「わざわざ悪かったね。重かっただろ?」
そう言うと、彼女は苦笑いをした。
「えぇ、かなり。私、フォークより重いものは持ったことはないんですよ?」 「それはそれは、悪かったね」
そう言いつつ、俺は思わず笑った。 実際、軍人である彼女が、フォークより重いものを持ったことがないはずがない。 まぁ軍人でなかったとしても、俺は街中で、彼女が買い物袋を6つも持って歩いていたの目撃している。 あれがフォークより軽いと言ったら、嘘になるだろう。
「それにしても大変ですね。これだけの資料をまとめるとなると」 「まぁね」
今、彼女が持ってきたくれた本に加え、この山のように積み重なっている資料、全てに目を通し、まとめる事が、今日の俺の仕事だ。 マスタング大佐ではないが、正直言ってサボりたい気持ちになる。 思わず、ため息がでる。 そんな俺を見て、彼女が心配そうに俺の顔を覗いた。
「もしかして少尉、今夜、徹夜で終わらせる気ですか?」
確かに、もうすぐ仕事も終わりの時間だ。それまでにこの仕事が終わるはずもない。 だから、彼女は俺が残業をすると思ったのだろう。 尚も、俺の顔を心配そうに見てくるので、俺はにかっと笑って見せた。
「いや、今夜は別に予定が入ってるから、出来る所までやったら、残りは明日に回すよ」
まぁ、普段ならこのまま泊り込みで仕事を済ましてしまうが、今日は別だ。 何も、予定がある暇で残業をする気はない。 そう答えると、彼女は何か思いついたように、あっ!と言った。
「用事って、もしかしてデートですか?」
やはり、女の子はこの手の話が好きらしく、彼女は目をキラキラさせて聞いてきた。
「まぁーね。と言いたいところだけど、残念ながら違うんだな」 「えー、そうなんですか?」 「ジャンと飲みに行く約束をしているんだよ」
ジャン・ハボックは、仕官学校時代からの友人だ。親友というよりは腐れ縁って感じで、士官学校卒業後、偶然にも同じ東方司令部に派遣され、未だ交友関係が続いている。 ジャンは、焔の錬金術師ロイ・マスタング大佐付きで、この部屋を出て少し奥に行った部屋で働いている。と言っても、マスタング大佐がサボりの時など、よくこっちに顔を見せている位だから、あいつ自身も結構さぼっているみたいだ。 時々、ホークアイ中尉に注意されてるしな。
「なんだ、ハボック少尉とですか。てっきり、可愛い彼女だと思ったんですけどね」
予想が外れた事が残念らしく、つんと唇を尖らせて言う。 残念ながら、俺は現在片思い中の身なんでね。デートなんて、夢のまた夢なわけだ。 もちろん、そんな事をこの娘が知っているわけもないんだけどね。 この事は、誰にも話した事は無い。もちろん、ジャンにもだ。
「そう言えば少尉。お忙しいとは思うんですけど、これ、お願いしてもいいですか?」
そう言って、A4サイズの茶封筒を差し出してきた。 中身は大佐宛の書類と、デートのお誘いってところかな。 「いいよ。気分転換になるからね」 そう言って、彼女の手から封筒を受け取る。もちろん、確認をする事も忘れない。
「大佐に、ですよね?」 「えぇ。よろしくお願いします」 「了解しました」
そう言って、俺は部屋を出た。
一様、大佐宛という事もあり、この部屋に入るときは、ノックと自分の名を名乗ることが礼儀となっている。 簡単に衣服を正し、俺はコンコンと、2回ほどドアを叩いた。
「・少尉であります」
そう言ってドアノブをまわすと、中にはブレタとフュリーの2人しかいなかった。
「あれ?2人だけしかいないのか。他の皆は?」 「マスタング大佐とホークアイ中尉は、街の視察に出掛けてます」 「ハボックは、とっとと帰ったぜ」 「はぁ?帰った?」
まだ勤務時間は終わってないよな? そう思いつつ時計に目をやるが、勤務終了まであと15分はある。
「なんでも、人と会う約束があるそうで、早めに帰ったんです」 「え?気の早い奴だな。待ち合わせの時間まで、十分に時間はあるのに」 「おや、約束というのは、少尉とでしたか」 「あぁ、久しぶりに飲みに行こうって話になってね」
だが、俺も仕事があるのは一緒だから、待ち合わせの時間は少し遅めにしたはずだよな。 ジャンの奴、マスタング大佐とホークアイ中尉がいないからって、さっさと帰ったんだな。 ったく、あいつのやりそうな事だ。 それにしても、大佐が街の視察って事は、ここには帰ってこない可能性が高いよな。 仕方ない、書類だけ頼むか。
「フュリー。悪いんだが、これを預かってもらえるかな?明日、マスタング大佐に渡して欲しいんだが」 「わかりました。お預かりします」 「よろしくな。じゃあ、俺も戻るから。またな、フュリー。ブレタ。」
軽く挨拶をし、俺は部屋を出た。 よし、俺も帰るとしよう。 そう思いつつ、俺は自分の部屋に戻った。
数分後
「あれ?ブレタ少尉。確かハボック少尉は、デートだって言ってましたよね?」 「あぁ。長い長い片思いの末、やっとデートの約束がとれたって言ってたな」 「でも、少尉の話だと、この後、ハボック少尉と飲みに行く約束をしていると言ってましたよね」 「あぁ。俺たちの聞き間違いじゃなかったらな」 「つまり、ハボック少尉のデートの相手というのは、少尉という事ですか?」 「あははっ。まさか、違うだろ」 「ですよねー」 あははっと乾いた笑いが部屋に響いた。
もちろん、2人がそんな会話をしていたとも知らず、俺はジャンとの待ち合わせの場所に向っていた。
確か、この辺りだったよな。 待ち合わせの場所に着いたおれは、周囲を見渡し、ジャンを探す。 ジャンは、あの身長で金髪だから、探しやすくていい。 おっ、いたいた。 ジャンの姿を見つけ声を掛けようとした時、俺はある異変に気がついた。 あれはジャンだよな?俺の見間違いではなさそうだ。
「おい、ジャン!お前、何でスーツなんて着てるんだ?」
普通に声を掛けようとして、思わず、そんな言葉が口をついてでた。 いつもなら、もっと楽な服装のジャンが、なぜか今日はパリッと糊のきいたシャツに、黒いスーツをきているのだ。 驚くなという方が、どうかしている。
「お前こそ、どうしてここにいるんだよ、」
予想もしなかったジャンの言葉に、俺は目を丸くした。
「はぁ?お前が言ったんだろ。今夜、ここで待ち合わせしようって」 「何言ってんだ?俺が待ち合わせをしているのは、本屋のキャサリンだ。お前じゃない」 「何!?お前、自分から誘っておいて、俺との約束破って、他の娘とデートする気だったのか?」
俺の言葉に、ジャンは目をそらした。 図星かよ。
「お前、今の今まで忘れてただろう」 「さぁ、なんの事だろうな」 「お前なぁー」
こいつとは長い付き合いだが、本当に飽きれば言葉が出ない。 しかも、素直に認めるならまだしも、こいつは白を切ろうとしている辺り、情けない。
「忘れてたなら、正直に言えばいいだろう。そうすれば、俺だって納得するのに」 「さぁな。俺はなんの事だか、皆目検討もつかないが」 「お前って奴は…」 「ジャン…。その、お邪魔かしら?」
俺とジャンが言い合いをしている中、セミロングの髪が可愛らしい女性が、少し遠慮勝ちに声を掛けてきた。 多分、これがジャンの言っていた本屋のキャサリンで間違いないはずだ。 確かに、ジャン好みの女性だ。
「やぁ、キャサリン。邪魔だなんて、とんでもない、とんでもない。むしろ邪魔なのは、こいつの方だから気にしなくていいから」
まぁ、ジャンの気持ちも分からなくもないが、俺との約束をかっぽっておいて、邪魔者扱いはいただけない。 ちょっとジャンを困らせてやろうと、俺は口を開いた。
「おい、俺の事忘れておいて、邪魔はないだろ。邪魔は」
そう言って絡むと、ジャンはちっと舌打ちをした。 そして隣にいる彼女はというと、なぜか、ちらっと俺の方に視線を送った。
「やっぱり、お邪魔みたいだから、私帰るわ」
彼女の言葉に、ジャンは口をあんぐりと開けている。
「ちょっと待てよ、キャサリン。いきなり、どうしたっていうんだ?」 「言わなくてもいいの。私には分かっているから。だから…。お幸せにね、ジャン」
そう言って、キャサリンは帰って行ってしまった。 多分、ジャンはふられたんだよな。 いや、ちょっと待てよ。さっき、彼女は凄く気にかかる言葉を言ってなかったか? "お幸せに"って、言ってたよな。 普通、あの言葉は結婚をするカップルなんかに送る言葉だ。 それをジャンに言ったって事は、もしかして、もしかしなくても…って事か? そう思っていると、俺より先にジャンが口を開いた。
「なぁ、。俺が思った事を言ってもいいか?」 「あぁ。多分、俺も同じ事を思っているはずだから、いいぞ」
俺がそう言うと、ジャンは深く息を吸い込み、そして…。
「なんで俺が、お前と恋人同士だと勘違いされなきゃならいんだ!!」
と言って、俺の胸倉を掴んで泣きついてきた。 やっぱり、ジャンもそう思ったよな。 よりにもよって、どうして俺がジャンと恋仲だと勘違いされなきゃいけないんだか…。 どうやら、今日はこのままジャンに絡み酒をくらいそうだ。 そう思いつつ、俺はデスクの上にある資料の整理が、明日中に終わるかという不安に襲われた。 そして、そんな俺らの事などお構いましに、イーストシティーの夜は更けていくのだった。
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