子猫とアルコール
昼間に寝すぎたのか、珍しく深夜遅くになっても眠気が襲ってこなかった。
しばらくベッドの上をごろごろと転がってはみたが、そんな事くらいで眠くなるわけも無く、俺は館内を散歩する事にした。
静まりかえった館内を、俺が歩くぺたぺたと言う足音だけが響いた。

しばらく歩いていると、深夜だというのに明かりの漏れる部屋が1つ。
俺はその光に吸い寄せられるかのように近づいて行くと、こっそりと部屋の中を覗き込んだ。
意外にも部屋の中にいたのは俺も知っている人物で、俺は無意識のうちにそいつの名前を口にしていた。

?」

ぼそっと呟くように声を掛けたら、くるりとこちら側に視線を向けた。

「あれ?シャニ、まだ起きてたんだ」

俺がまだ起きていた事が意外だったようにが言う。
確かにいつもの俺なら、今頃は夢の中だろう。
だからが不思議がるのも当然だ。
しかしそう言いつつもは俺の事を手招いて、部屋の中に入ってくるように言っている。
そこは俺達が昼間、待合室として利用している部屋だった。
いつもならオルガが座り本を読んでいるところに、は座っている。
俺はに近づいて行き、ぎゅっとの腰に手を回し抱きついた。
の軍服からは、がいつもつけている少し甘い香りの香水に混じって、ヤニの臭いがした。
普段タバコを吸う事が無いにしては、珍しい事だった。

、タバコの臭いがする」
「あぁ、会場で吸っている人がいたからね」

"やっぱり移っちゃったか"とは自分の制服に鼻を近づけながら呟いた。

「会場?」

さらりと言うに、聞き返すと"あぁ、言ってなかったっけね"といって、言葉を続けた。

「アズラエル理事の付き添いでね、パーティーに参加してきたのよ」


俺達の所有者であるアズラエルは"ブルーコスモス"の盟主であると共に、どっかの国の理事をやっているお偉いさんらしい。だからよくパーティーなどに参加する事がある。
俺達も何度か護衛という形で参加した事があるが、あまり良い気分はしない。
いつも着ている様な軍服(といっても、俺達のは正規のを改造してるけど)ではなく、無駄にぴしっとしたスーツを着せられるから俺は窮屈で嫌いだ。
だけどはいつもの地球軍の制服を着ている。
きっとそのパーティーには軍関係のお偉いさんが多く来たのだろう。


「で、シャニは何でまだ起きてたの?」
「眠れなかったから」

そう正直に答えると、は俺の頭を軽く撫でてふんわりと微笑んだ。

「そっか。じゃあホットミルク作ってあげる」
"だから私の部屋に移ろう"と言われ、俺は抱きついていた腕を解いた。





「そこに座って待ってて」

明かりの点けられた部屋のほぼ中央にある椅子を指差して言うと、は1人奥のキッチンスペースに入っていった。
始めはの言うとおりに大人しく座っていたが、それも暇でのいるキッチンスペースを覗き込むと、は鍋に牛乳を入れて温めている最中だった。
牛乳が沸騰して焦げない様に、ゆっくりとかき混ぜつつ温めている。

「あれ?あっちで待っててよかったのに」

鍋から俺に視線を移し、が呟くように言う。
勿論それは予想範囲内の言葉だったから、俺は思っていた事をそのまま言葉にした。

「暇だったし」
「そっか。もうちょっと待ってね」

そう言っては再び鍋に視線を移した。
俺はそんなを黙ってじっと見つめていたが、の横顔を見ていて、一つ気付いた事があった。

「そう言えば。お酒、飲んだの?」

の邪魔をしないように気をつけながら、ほんのりと桃色に染まったの頬に触れると、の体温が伝わってきた。
いつもよりほんの少し高い体温。
それは体温が低い俺には心地よいものだった。

「まぁね。一応、大人のお付き合いだから」

"飲んだといっても、シャンパンを2杯ほどだよ"と言葉を付け足してはいるが、実際にお酒を飲んだ事に変わりは無い。
なんとなくが羨ましくて、俺は(多分)小さな我が侭を口にした。

「俺もお酒飲みたい」

俺の言葉には視線を上げて、再び俺の事を見た。

「ダメだよ。シャニ達はアルコール、禁止されてるでしょ?」

の言うとおり、アルコールの成分と俺達が飲まされている薬の成分の相性の関係で、俺達は飲酒を禁止されている。
だからって"はい、わかりました"って言えるほど、俺は良い子じゃない。
怒られるかもと思いつつも、に抗議する事にした。

「ヤダ、お酒飲む」

そう言って、じっとの瞳を見つめた。
は少しの間、黙って俺の事を見つめ返していたが、小さくため息をつくと肩をすくめた。

「わかった。じゃあカクテル作ってあげる」


そう言っては冷蔵庫の中から卵を取り出し、戸棚から砂糖と蜂蜜、それから小さな茶色の小瓶を取り出した。
卵をボールに割り、泡だて器でシャカシャカとほぐし、先ほど出した砂糖と蜂蜜を入れて更に混ぜる。それからは楽しそうに温めた牛乳をボールの中にゆっくりと加えて混ぜ、そして再び火に掛けて温めた。
ゆるいとろみがついたところで火からおろし、先ほど取り出した茶色の小瓶を手に取った。茶色い液体を数滴垂らし、更に混ぜる。
すると甘い香りが漂い、それがバニラエッセンスである事がわかった。
はそれを白いマグカップに入れると、俺に差し出してきた。

あれ?はカクテルを作ってくれるって言ったのに…。
どこにもお酒なんて使って無いじゃん、これ。
使ったのは卵と牛乳、砂糖と蜂蜜で、どこがお酒なの?

、これお酒じゃ無いじゃん」

そう訴えると、はどこか楽しそうに笑みを浮かべた。

「それはノンアルコールカクテルのホットミルクセーキだよ、シャニ」
「ノンアルコールカクテル?」

つまり、お酒が入っていないカクテルって事?
でもカクテルって言ったよね。

「私はカクテルを作ってあげるって言ったけど、お酒を飲ましてあげるとは言ってないでしょ?」

"それも立派なカクテルなんだよ"とは言葉を付け足した。
どうやら俺はに騙されたらしい。

ばっかり、ズルイ」

そう言ってちょっと睨むように見つめた。

「シャニが勝手に勘違いしたんでしょ?」

にっこりと正論を言ってくるに敵うはずも無く、俺は大人しく受け取ったホットミルクセーキに口をつけた。
シュークリームを食べた時のような甘さが広がり、クロトが好きそうな味だと思った。

半分ほど飲んだところで、体がぽかぽかしてきた。
その為に、先ほどまで全く無かった眠気が少しずつ出てきた。
ふいに、が俺の頭を撫でてきた。

「ごめんね。今はこれが精一杯なんだ」

どこか申し訳なさそうに言うに、俺はこくりと頷いた。

「うん、わかってる」

別にが悪いわけじゃない。
今回の事は俺の我が侭だ。
もしオルガがこの場にいれば、に我が侭ばっか言ってんじゃねぇよって言われると思う。

「ごめん。我が侭言って」

そう素直に謝れば、はいつもの優しい声で"気にしないでいいんだよ"と言ってくれた。

「ねぇ、シャニ」
「何?」
「いつか酒を飲んでも良くなったら、私の事、誘ってくれる?」

俺を試すような笑みで聞いてくるに、俺は首を縦に降った。

「いいよ」

俺がそう答えると、は本当に嬉しそうに笑った。


俺が(正確には俺だけじゃなくてオルガとクロトも)好きなの笑顔。
それは自分が"まだ"人間であると思える瞬間。
唯一、心が休まるものだった。


「約束だからね」

はそう言うと、小指だけを立てた右手を前に出してきた。
マグカップをテーブルの上において、俺も右手小指を立てて、の小指と絡めた。

「忘れないでね」
こそ」

小さな子供みたいに2人で約束の歌を交わし、俺は再びマグカップに手を伸ばした。

それは戦争と言う中でしか生きられない俺の非日常。
そして最も幸せな時間だった。



END





モドル