多くの者が宿舎に戻った頃、ディアッカはと共に調理室にいた。 目の前にあるテーブルには卵、薄力粉、砂糖、生クリーム、レモンが並んでいる。 そしてディアッカもそうだが、はいつもの軍服ではなく楽な私服を着ている。 アイボリーと紺色のボーダーのハイネックに黒のパンツ。髪は邪魔にならないように軽くまとめ、軍の赤服に似た濃い赤い色のエプロンを掛けている。 その手にはシルバーの泡だて器とボールを持ち、先ほどからボールの中身を混ぜている。 ディアッカは手に持っていた雑誌からに視線を移すと、今更な質問をした。 「そう言えばさ、何で明日じゃないといけない訳?」 イザークの元から退散してディアッカが向った先は、別室で作業をしていたのもとだった。 先刻思いだした、イザークの好きなお菓子を伝えると、は嬉しそうに笑いながら何度もお礼を言った。そして今夜作るから、ぜひ付き合ってくれと間髪を入れずに頼み込んだ。 別にディアッカとて、特別な予定が入っていたわけでは無いから、不満があったわけではない。 ここ数週間、明日行われる慰霊祭の準備で忙しい思いをしていたが、それを明日に控えた今日は、ゆっくり休む時間ぐらいはあった。だから可愛い後輩のため、味見係として彼女のお菓子作りに付き合うのは良いと思っていた。 だが、の妙に焦っているような行動に疑問が無いといったら、それは嘘になるだろう。 そんなディアッカの心中を察したのか、は隠しもせずに今夜作る理由を口にした。 「明日はバレンタインじゃないですか。だからどうしても明日、これを贈りたくて…」 ほんのりと頬を桜色に染め、は恥ずかしそうに答えた。 そんなの言葉を聞き、ディアッカは手元の雑誌を見ながらぼそっと呟いた。 「バレンタインねぇ…。なんか懐かしい響きだこと」 「やはり軽率だと思いますか?ディアッカ先輩も」 "も"という発言から、も少しはそう思っているのだろう。 ディアッカはの言葉に肩をすくめた。 「まぁ、忘れられない日だけどね。2月14日と言えば」 別にバレンタインと言う言葉をずっと使っていなかったわけではない。むしろその逆だ。 C.E.70のその日、農業プラント"ユニウスセブン"に核が撃たれた。 それは19ヶ月続いた地球とプラント間の戦争の引き金となった。 ディアッカももあの事件があったからこそ、こうしてZAFTに属しているのだ。 だからコーディネーターにとって、バレンタインは特別な意味を持っていると言える。 その為、プラントでは喪に服すものが多い。 「私だって、あの日の悲劇を忘れたわけではありません。でもだからと言って、いつもお世話になっている人に感謝の気持ちを伝えないのは違うと思うんです」 ディアッカの目を真っ直ぐと見つめ、はしっかりとした口調で言った。 誰に対しても自分の意思を伝える瞳。 正直ディアッカは、のこの瞳が嫌いではないと思った。 「確かに恋だなんだと浮かれるのもどうかとは思いますけど、それだけじゃないですよね?バレンタインの意味って。感謝の気持ちを表す日だと私は思うんです」 「あぁ、そうだな」 確かに血のバレンタインはコーディネーターである彼らの心に、大きな影を落とした。 しかしが言う事も間違った事ではない。 感謝の気持ちを表す日。 そう考えれば、バレンタインデーも悪い日ではないだろう。 「勿論、全ての人に受け入れてもらえるとはと思いますが、私は悲劇に囚われるだけの日にしたくないんです」 の言葉に、ディアッカは静かに頷いた。 確かに悲劇を嘆く事は簡単だ。 どうしてこんな事が起こってしまったのか、原因は何か。 それをナチュラルの存在の所為だと結論付けた為に、先の戦いは起こった。 だが、もしあのまま本当にナチュラルを滅ぼしたら、自分達の心にぽっかりと空いた空虚感は埋まったのだろうか? いや、きっとそんな事はなかっただろう。 それに気付いたからこそ、ディアッカは自らの意思で第三勢力に加わったのだ。 元仲間に、国を…プラントを捨てたと思われた時もあった。 それでもディアッカは自分の意思を曲げるつもりはなかった。 自分が望んでいたのは、平和な世界だったから。 悲劇を嘆くだけでなく、その後どうするか。本来は、それが一番重要な事だったのだ。 それを目の前のは、自分で考え答えを出したのだろう。 バレンタインデーを悲劇の日として過ごすのではなく、新たに歩みだす日だと。 それを応援しないようでは、男が廃るというものだろう。 「じゃあ、その気持ちがイザークに伝わるように、上手いケーキを作らないとな」 「はい!」 ぽんとの肩を叩いて言ったディアッカの言葉に、は気持ちの良い返事を返すと、ケーキ作りを再開した。 次の日、血のバレンタインで亡くなった者たちの慰霊祭が行われた。 その為に頑張っていたZAFTの者達のお陰で、慰霊祭は無事終了した。 片付けも終わり、多くの者が宿舎へと戻る時間、イザークは自分に与えられた自室にいた。 普段キチンと閉めている軍服を少し緩め、脱力しきったように座っている。 いくら準備が万全だったとは言え、当日になると少しずつ予定はくるっていく。隊長と言う立場のイザークの仕事は、それらを修正して他の者達に指示を与えるというもので、他者とは比べ物にならないほど忙しかったのだから当然であろう。 それはイザークの右腕的存在のディアッカも同じで、近くにあるソファーに腰を下ろしているが、2人は全く言葉を交わそうとはしない。 そんな静寂を打ち破るように、ドアが開いた。 「お疲れ様です。ジュール隊長、ディアッカ先輩。コーヒーをお持ちしました」 そう言って入ってきたのはだった。 手にしているトレーにはコーヒーカップとケーキがのった皿が乗っている。 イザークは未だにが残っていた事に少し驚いたが、この優秀な部下なら他の者が宿舎に戻った後、別の作業をしていても不思議ではないと思い直した。 「か。わざわざすまないな」 コーヒーを目の前に置くにそう言葉を掛けるが、は"いえ、気にしないで下さい"と優しい口調で言い返れた。 「それからよろしかったら、これも召し上がって下さい」 そう言ってイザークの前に並べたのは、表面にマーブル模様が入ったチーズケーキの乗った皿だった。勿論それは昨夜、ディアッカに協力してもらい作った物で、表面のマーブル模様はコーヒーでつけてある。 「これは?」 「お恥ずかしながら、私が作ったものなんですけど…。その、今日はバレンタインデーですから」 少し緊張気味に言うの言葉に、イザークは一瞬驚いたような顔をしたが、その後無言でフォークを手を伸ばした。 そしてチーズケーキを一口に切って口に運んだ。 口の中には、クリームチーズのほのかな酸味とコーヒーの苦味が広がる。そしてその中にさっぱりとした甘味が含まれていて、イザークは自分好みの味だと思った。 「美味いな」 紅茶を一口口に含み、イザークは完結ながらも正直に自分の感想を口にした。 イザークの一言に、少し俯き加減だったの視線は上がり、イザークへと移った。 「ほっ、本当ですか?でも、お世辞なら結構ですよ」 「バカか、お前は。俺がお世辞なんかで人を褒めるわけないだろうが」 イザークはお世辞を言うようなタイプではない。 それがイザークの良い所であり、時に悪いところでもある。 イザークに改めて言われ、ははっとしたように笑った。 「そうでしたよね。ありがとう御座います」 照れつつ感謝の言葉を言うに、イザークは自然と口元を緩めていた。 そして再び、チーズケーキを口に運ぶ。 甘いケーキと違って口の中が甘くなりすぎず、それでいて美味しい。 満足そうにケーキを食べるイザークを見て、は心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。 それはまるで、恋人同士のような光景だった。 「あのさ〜、お2人の世界を邪魔するようで心苦しいんだけど、俺にもコーヒーくれない?」 そんな2人に掛けられた言葉。 かなり控えめなディアッカの主張に、2人はお互いの視線をディアッカに移した。 「なんだディアッカ。貴様、まだいたのか」 イザークの怪訝な声に、ディアッカは肩をすくめた。 ディアッカに注がれた視線は、イザークの青い瞳のように冷たい。 そんな視線は慣れっこだが、もう少しどうにかならないものかとディアッカは心の中で思った。 一方は申し訳なさそうに、トレーに乗せてあったディアッカ分のコーヒーを、急いでディアッカの前に置いた。 「すみません、ディアッカ先輩。別に先輩の事を忘れていたわけじゃないですからね」 「いや、その言葉の方傷つくし」 冗談のつもりで言ったその言葉に、は慌てたようにしている。 そんなの反応を楽しみつつ、ディアッカは先ほどから自分に突き刺さる視線を感じていた。 だからこそ長居は無用と思い、コーヒーを一気にあおると立ち上がった。 「じゃあ、俺は部屋に戻るわ。コーヒー、サンキュウな」 トレーにコーヒーカップを戻すと、そのままディアッカの足はドアに向った。 「そうそう、イザーク。いくら俺らが仲いいからって、俺に八つ当たりするのは止めてくれる?お前だって、いい思いしてんだからさ」 「ディアッカ、貴様!!」 ディアッカはイザークの言葉を無視し、"じゃあね"と言いつつ手を振って部屋を出て行った。 イザークは"あいつ、気付いていたのか…"と呟くと、恥ずかしそうにの方を見た。 は一体何が起こったのかわからないと言った顔をしており、イザークはその場を誤魔化すようににコーヒーの追加を頼んだ。 イザークに対して抱いている感情が憧れなのか、それとも恋心なのか分からない。 ディアッカとの仲の良さに、ささやかに嫉妬しているイザーク。 可愛い後輩であるに、親切なディアッカ。 そんな3人の思いは絶妙に絡みあっている。 だから今後、彼らの関係がどうなるかはわからないが、それはまた別の機会に。 |
END |
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■モドル■