科学の進化は、時として偉大な結果をもたらす事がある。 C.E.15 ジョージ・グレンの告白により、コーディネーターの存在が明らかになった。 遺伝子を意図的に操作し、優れた頭脳、肉体を持ち合わせた人間、それがコーディネーターだ。ファースト・コーディネーターと呼ばれるジョージ・グレンは、さまざまな分野でその才能を開花させ、世界中の注目を浴びていた。 一方、遺伝子操作をしていない人間、私の様な者達をナチュラルと呼び、人々は次第にナチュラルとコーディネーターを比較するようになっていった。 ある者は、コーディネーターに対して憧れを抱き、ある者は、嫉妬の念を抱いた。 時として優れすぎた能力は、他者の心に暗い影を落とす。 いくら努力をしても勝てないと言う劣等感。 それらはやがて差別や虐待という形で、なんの罪のない者にぶつけられた。 C.E.68 「S2型インフルエンザ」によるコーディネーター達への疑惑、反コーディネーター組織「ブルーコスモス」の強大化などにより、コーディネーターへの迫害は悪化した。 この事により、地上にいたコーディネーター達の殆どは生まれ育った地球を離れ、宇宙空間の新世代コロニー「プラント」に移った。 そして運命のC.E.70 2月14日 プラントの食料生産コロニー"ユニウス・セブン"に、一発の核が撃たれたと、各ニュースが伝えた。もちろん、そこで生活していたコーディネーターは全滅。 その数、約24万人と聞く。 先日、コーディネイターのみからなるスペースコロニー国家「プラント」は、ナチュラルの国家群からなる国際機関「地球連合軍」に対し独立を宣言した。 これに対し連合が行った報復が「血のバレンタイン」だと言われている。 そしてその指示をしたのが、私が仕えるブルーコスモスの盟主ムルタ・アズラエル様だと言う噂があるのも、事実だった。 SPにIDカードを提示し、私はさらに奥へと進む。 長い廊下を進み、一番奥にある部屋の前まで行くと、ドアを2度叩いた。 「・です。失礼します」 断りの言葉をかけ、ドアに手をかける。 部屋のほぼ中央に置かれたアンティーク調の机と椅子。 そこには我らが盟主、ムルタ・アズラエル様の姿があった。 「おや。君がアポも無し尋ねてくるなんて、珍しいですね。」 私の事を一瞥し、ムルタ様はペンを走らす手を止めた。 「失礼を覚悟の上で質問させていただきます。プラントへ核を撃つ事を指示したのが、アズラエル様というのは事実なのですか」 「えぇ、そうですよ。お陰で、宇宙が少し綺麗になったと思いませんか?」 私の突然の問いに驚くでもなく、ムルタ様は答えた。 「なぜです?なぜ、あのような物を…」 C.E.1 R.C.War(Reconstruction War/再構築戦争:第三次世界大戦)の中央アジア戦線において、核兵器が使用された。 これは『最後の核』と呼ばれ、これがきっかけで世界中で戦争終結の機運が高まり、8年後のC.E.9にR.C.Warは終結した。 一見、核のお陰で平和が戻ったように見える。しかしこれは強すぎる力の前に恐れをなした人々が、平和の道を歩もうと考え直しただけに過ぎない。 それほど、核とは危険なものなのだ。 それをアズラエル様は、コーディネーター達が住むプラントへ、なんの躊躇いも無く放ったのというのだろうか。 ムルタ様の台詞に言葉を失っていると、ムルタ様はいつもと同じ口調で言葉を続けた。 「は、イカロスの翼をご存知で?」 「イカロスの翼?いえ、存じ上げませんが」 初めて聞く言葉に、私は素直に答えた。 さすがアズラエル財閥の御曹司と言ったところか、ムルタ様の学識の多さには、いつも驚かされる。 きっと、この"イカロスの翼"も、昔の話か何かに出てくる単語なのだろう。 所詮、一般人上がりの私と、釣り合う事は無い。 ムルタ様は私の答えを大して気にするでもなく、説明を始めた。 「とある神話に出てくる話なんですよ。かの有名なミノタウロスを閉じ込める為に作られたラビリンス。それを製作したダイダロスの息子がイカロスです」 そこまで言われて、私は昔読んだ本の話を思い出していた。 ミノタウロス−それはミノス王の妻であるパシパエが生んだ子供の名前だ。 人の体に牛の頭を持つ怪物。 その醜い姿と凶暴さゆえに、ミノス王は一生出てくる事の出来ない迷宮−ラビリンス−を作らせ、その中にミノタウロスを閉じ込めた。 同時期、ミノス王はメガラとアテナイを攻めていた。 飢饉と疫病に苦しめられアテナイが降伏すると、ミノタウロスの食料として、アテナイから毎年7人の少年少女を捧げる事を命じた。 この理不尽な命に英雄テセウスが立ち上がった。 生贄に混じってラビリンスに潜り込んだ英雄テセウスはミノタウロスを殺し、ミノス王の娘であるアリアドネの助けを借りて迷宮から脱出した。 この時、アリアドネにラビリンスから脱出する知恵を与えたのが、迷宮を製作したダイダロスだと言われている。 「この事でダイダロスとイカロスはミノス王の怒りを買い、ラビリンスに閉じ込められてしまいます。ですが、彼らは鳥の羽を固めて作った翼で脱出するんです」 迷路の出口から抜け出すのが無理なら、空へ抜ければ良い。 それは地上で迫害を受けたコーディネーターが、宇宙へと逃げた姿と重なった気がした。 「しかしイカロスは空を飛ぶ楽しさに我を忘れ、どこまでも高く飛ぼうとした。そして太陽に近づきすぎたが為に、羽と背中をつけた蝋が溶けてしまい、イカロスは海に落ちてしまったという話ですよ」 「それがコーディネーターだと、アズラエル様は言いたいのですか?」 私達生物には限界がある。 鳥が自由におお空を飛びまわるように、私達人類は空を飛ぶ事は出来ない。 それは飛ぶ為の翼が無いからだ。 しかしその翼を得たが為に、人類の限界を無視して太陽まで近づこうとしたイカロス。 それは遺伝子操作を施されたコーディネーターが、私達ナチュラルを飛び越え、新人類として生物のトップに立とうとしている姿に似ている。 だから太陽がイカロスの背につけた羽の蝋を溶かしたように、あなたも核を撃ったと言うのですか? 「えぇ、そうですよ」 「アズラエル様は自分に無いものに対して、嫉妬の念を抱いているだけなのではありませんか?」 私の言葉に、ムルタ様は少し険しい顔つきになった。 「なぜ、そう思うんです?」 「あなたは、本当であればコーディネーターになっていてもおかしくなかったはずです。ですが、あなたのっ…」 私が言葉を言い終える前に、首に強い圧力が掛かった。 それは目の前にいるムルタ様の手だった。 少し骨ばっているものの、ピアノの鍵盤を弾くのが似合いそうな細い指。 その指に力がかかっている。 普段の穏やかな表情からは想像もつかないほど、大きな力だ。 「あなたに何が分かると言うんです。僕のやる事に口出しをしないでほしいですネ」 そう言って、私を床に叩きつけられるように、ムルタ様の手が離れた。 「ゲホッ…、ゴホッ」 急速に肺に取り込まれる酸素が苦しくて、私の目元には涙が浮んだ。 それでも私の目は、ムルタ様の姿を追っていた。 目が合った瞬間、ムルタ様は酷く冷たい目をしていた。 それが私を見下しているものだという事は、簡単に理解できた。 「全く、うるさいんですよ。君は自分の立場を理解していないんですか?君達は僕の為に動けばいいんです。僕の言葉が全てです。分かりましたネ?」 "君達は僕の忠実な狗なんですからね"と言葉を続けた。 私はそんなムルタ様に何も言えず、じっと見つめる事しか出来ないでいた。 それが気に入らなかったのか、ムルタ様は眉間にしわを寄せた。 「返事はどうしたんです?」 「…はい。アズ…ラエル…様」 途切れ途切れに言葉を紡ぎ出すと、ムルタ様は満足そうににやりと笑みを浮かべた。 「分かればいいんですよ、分かればね。じゃあ下がってもらえますか?話す事は何もありませんからネ」 「はい、失礼します」 何とか呼吸の整った体に渇を入れ立ち上がると、私は早急に部屋を出た。 そして首もとのついているであろう傷跡を隠すように、少し俯いて歩いた。 SPの前を通過する際、少し緊張したものの、特に声を掛けられる事はなかった。 まぁ見られていたとしても、そんな事で声を掛けてくるような連中で無い事は十分承知しているが、それでもこの傷跡を見られるのは、私のプライドが許さなかった。 それに地球軍の制服は襟が少し立っているデザインだ。 俯いて歩いていたから、簡単に隠せたのだろう。 連合連合軍−それは私が所属している組織の名前だ。 そして反コーディネーター組織"ブルーコスモス"の一員でもある。 まだ若い方だが、ムルタ様の補佐官を務めている。 これも全て、ムルタ様の力になる為に選んだ道だ。 全てはあの人の為に…。 銃を取る事も、コーディネーターを殺す事も後悔はしていない。 だけど本当にそれでいいのだろうか? 時々、もう1人の私がそう言っている。 あの時、ムルタ様に言った言葉は真実だ。 出すぎた発言だとは思ったが、私はそれを言わずにはいられなかった。 今のあの人は、ただ己の暗い過去に囚われているに過ぎない気がしたからだ。 それは昔の私と重なった。 周囲の所為で身動きが取れないでいた自分。 でも、そんな私を開放してくれたのは紛れも無いムルタ様だった。 あの時、私に手を差し伸べてくれたから、今の私がいるのだ。 例えそれが、世間に批判させる事があろうと、それは自分で選んだ道。 あの人の為に、私自身が選んだ道。 それが私の存在理由であり、私が銃を取った理由なのだから。 だから私は、これからもあの人についていかないといけないのだ。 それがきっと間違いであっても。 |
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