ドクン、ドクンと心臓の音が高鳴り、体の隅々まで薬が行き渡っていく感覚が体中を襲う。 そして段々とクリアになる思考。 遠くでドアの閉まる音がし、が出て行ったことを察した。 に飲まされた薬のお陰で、あの苦しさから解放され、呼吸も大分落ち着いた。 勿論、それも一時的なものに過ぎないだろう。 それでも、あのまま放置されるよりは何倍も楽だった。 元々、俺はシャニやクロトほどステージは進んでいない。 プラントレベル2。それが俺のステージだ。 だからレベル4のシャニやレベル3のクロトよりも、断然、症状は軽い。 その所為だろうか…。シャニとクロトには2種類のカプセルを呑ませたが、俺には1種類のカプセルしか渡さなかったのは。 だが、軽いと言っても苦しい事には違いはない。 いつかこの薬も切れ、再び現れるであろう禁断症状も、この2人のように意識を手放せば少しは楽だろうに、俺にはそうする事も出来ない。 どうせ、あの意地の悪いアズラエルの事だ、次の出撃ぎりぎりまで俺らに薬を与えないつもりだろう。それが1時間後なのか、半日後なのか俺には分からない。 ただ、気の遠くなるような時間を過ごす事だけは確かなはずだ。 完全に薬が体中に回ったところで、俺は床で寝ているクロトとシャニをベッドの上に横にした。女で、俺らよりも体の小さく、力の無いあいつには出来なかったからだ。 所詮、再び禁断症状が現れてしまえば、どこだろうと関係ないが、冷たい床の上で寝ているよりは、ベッドの上の方が何倍もいい。 2人をベッドに横たわらせ、自分も残りのベッドに横たわった。 先ほどまで、目に付き刺さるように鋭かった照明の光も、今ではただ自分を照らすだけで、何の害も無い。 改めて、禁断症状に陥った時の恐怖を感じた気がした。 深く息を吐きつつ目を閉じれば、先ほどのの顔が浮んできた。 そう言えば、あいつが泣く姿を見たのは、初めてだったな。 クロトに手を掛けられていたにも関わらず、母親のような眼差しでクロトを射抜いた。 だが、その瞳には深い悲しみを宿していた。 同情とも、恐れとも違う、俺達には到底理解できないであろう、深い悲しみ。 それは大罪を背負った、罪人のようであった。 「君たちには、その権利がある」 あの時、は俺達には権利があると言っていた。あいつを殺す権利が・・・。 だが、本当にそうだろうか? 確かに俺達は、戦場でいくつもの命を奪った。 それは薬の所為とは言え、自分の欲望のままにしている事だ。 少なくとも、何かの権利があってしている事ではない。 だがそもそも、人が人の命を奪う権利など、この世にあるのか? 世界中、いやこの宇宙のありとあらゆる所を探したところで、そんなのある訳がない。 もしあったとしても、それは人が勝手に作り上げた虚像の産物であろう。 自分は正義と名乗り、敵対するものを悪と呼ぶ虚像だ。 そして人は、それに縋りつく。 バカらしいと思うが、それが人間と言うものなのだろう。 もう、人間ではない俺には関係の無い話だがな。 「うっ。くっ・・・」 どれくらい経っただろうか。 今まで眠りについていたシャニが、苦しそうに身じろいだ。 どうやら、から呑まされた薬の効果が切れたようだ。 あんなに泣きじゃくっていたシャニが、の手にしていた薬を飲んだ直後、眠りにつくように意識を手放した。 推測するに、即効性の睡眠薬だったのだろう。 まだ薬の効果があるらしく、クロトは目覚めないが、それも時間の問題だろう。 カプセルにする薬の量など、たかがしれている。 それにしても、俺はどうして 確かに、あいつは俺らの体調管理役兼監視役だ。 だからと言って、そう簡単にあの薬が手に入るわけが無い。 あれは、アズラエルの息がかかっている研究員達が管理している。 それをあいつがあっさり手に入れることなど出来るはずがないんだ。 なのに、あいつは俺達が収納されてから、10分足らずでここに駆けつけてきた。 「あいつ…。実はアズラエルの部下…だったりしないよな」 それは以前、シャニとクロトと話をしている際に俺が言った言葉だった。 あの時は、自分でも馬鹿げた考えだと思った。 だが、この状況ではそれも本当に疑いたくなる。あいつが薬を手に入れるとしたら、アズラエルから入手するぐらいしか手段は無いのだから…。 「…は?」 少し体を起こして俺を見たシャニが、か細い声でそう言った。 その姿はまるで、子供が親を求めているような気がした。 「あいつはもうここには居ない。大分前に出て行った」 「そう。大丈夫かな…」 俺同様に、入手先の分からない薬の事を心配しているのだろう。 俺は出来るだけいつも通りの口調で答えた。 「大丈夫だ。俺らがあいつに心配を掛けても、あいつが俺らに心配させるなんて事、やるわけないだろう」 それはシャニへの言葉ではなく、そうであってほしいという俺の願望でもあった。 俺の言葉に、シャニは安心したように頷いた。 その直後だった。 強い波のような衝撃が体に襲い掛かってきたのは。 「うぁっ…」 再び襲ってきた禁断症状に、俺は苦痛の声をあげた。 今日2度目の禁断症状が現れてどれだけの時間が過ぎたのだろうか。 耐え難いほどの苦痛。絶え間なく体中を襲う痙攣。 もう先ほどのように、動く事さえ叶わない。 勿論、それは俺だけでなくシャニやクロトも同じだ。 体中の血液が沸騰したように暑くなり、また極寒の地にいるように寒くなる体。 そんな俺らの前に現れたのは、まるで能面のように表情を変えない研究者達だった。 俺らに見せ付けるように差し出されたアンプルの瓶。 震えの止まらない手でそれを奪い取り、口元へと運ぶ。 口の中へと広がるのは、下が痺れそうな苦い薬の味。 しかし、体はそれを求めていて、浸透するように体に取り込まれていく。 「γグリフェプタンを10単位追加してある。2時間はもつだろう」 「また、苦しい思いをしたくなかったら、今度は頑張るんだな」 俺達を見下した声。 所詮、俺らは人間でないのだと、認識される時だ。 「はぁ…、ありがたいことで」 なんとか息の整ったクロトが、いつもの生意気な声でそんな事を言った。 何がありがたい事だ。 だが、実際俺らはこの薬無しでは生きられない。 それは紛れも無い事実だ。 「くそうっ」 床に拳を突き立てる。 この痛みさえ、この屈辱に比べたらどうって事はない。 研究員達はもう自分達の仕事は終わったとばかりに、そそくさと部屋を出て行った。 そして入れ替わりに入ってきたのは、今一番見たくない奴だった。 「折角、デモンストレーションとして、皆さんに僕の実力を見せてさしあげよう思ったのに、君達は相変わらずダメダメですね」 「はっ、よく言うよ。おっさんは、金と口しか出してない癖に」 クロトらしくないと思った。 いつものクロトは、こんな時にわざとアズラエルの機嫌を損ねるような発言はしない。 それは俺の役目だった。 そう思っている間に、クロトのわき腹にはアズラエルの蹴りが入った。 「口の利き方には気をつけなさいと、どれだけ言ったらわかるんです?」 蹴られてもなお、クロトはアズラエルの睨みつけるのだけはやめなかった。 アズラエルはそんなクロトの事を一瞥だけして、俺らに向き直った。 「君達には大金を掛けているんです。精々、頑張ってもらわないとネ」 蛇のような男だと思う、この男は。 散々利用すだけ利用して、いらなくなったら容赦なく捨てる。 血も涙も無い人間。 「さぁ、時間です。早く出撃の準備をしなさい」 そう言って、アズラエルは部屋を出て行った。 「ねぇ、平気かな?」 MSの元に向う廊下で、クロトの奴がぼそっと呟いた。 その声には、先ほど自分がした事への後ろめたさも含まれている。 それは当然だろう。 だが…。 「今は何も考えるな。じゃないと死ぬぞ」 さっき飲んだ薬の効き目は2時間。 もし、また2時間であいつらの事が捕まえられなかった場合、苦しい思いをさせられる。 確かにあいつの事は気になっている。 だが、今はそれを気にしている場合ではない。 俺達には、やらなければならない事があるんだ。 しかし、クロトはなおも食い下がってくる。 「だけどっ…」 「クロト、うざい」 薬の効果の所為か、シャニの鋭い視線がクロトに刺さる。 しばらくシャニとクロトはにらみ合ったが、クロトは悔しそうに唇をかみ締めると、それ以上、何も言わなかった。 ヘルメットを装着し、俺達は各々のMSに乗り込んだ。 システムを立ち上げる前に、一度目を瞑る。 その一瞬、周囲を無音が包み込む。 パーツとして作られた体は、カラミティの内部に入ると、それにシンクロするかのようにいとも簡単に馴染んでいく。 子供が母親の胎内に居るような安心感がそこにはあった。 そしてあの薬の作用は、相変わらず強いものだと再認識させられる。 ここに来るまで、あんなにも気に掛けていたが、一気に頭の中から消えていくような錯覚さえ受ける。 今、俺の頭にあるのは、あの白と赤のMSを撃破する事だけだ。 勿論、それは他の2人も同じだろう。 無線を通って聞こえてくるシャニとクロトの声を聞けば一発だ。 『あの2機』 『今度こそ』 「落としてやる」 その思いだけで、俺達はMSを操った。 自分の欲望の為だけに…。 例えその事が、あいつを苦しめる事になろうと、今の俺にはそれを回避する事など出来ないのだから。 |
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